氏 名 加藤 文啓 (かとうふみひろ)
生 年 月 日 昭和38年10月
住 所 浜松市中央区八幡町
屋 号 三河屋染物店
略 歴 祖父が創業した家業を継ぐ為、京都へ修業に行った後家業に従事しています。
写 真 下段中央
昭和38年浜松市で生まれ育ちました。高校卒業後3年ほど会社勤めをしましたが、実家が呉服の加工業を営んでいましたので家業を継ぐ決心をし会社を退社しました。その後、浸抜の技術を身に付ける為京都へ約5年修業に行き、平成3年から家に入りました。
父・母・叔父の4人で家業を営んでいましたが平成5年に父が病気で他界。まだ29歳の若造と母・叔父で仕事をやり繰りしました。落ち込む母の気持ちを粉らわそうとして仕事をさせたものでした。(当時を振り返ると自分も若かったなと思う 鬼です)
10年ほど経つと叔父も高齢となり隠居生活に入り、母と2人での仕事の日々となりました。仕事の他に炊事・洗濯・掃除など人に頼ることなく働きどおしの母でした。
そんな母が令和2年12月末に心不全からくる肺炎で緊急入院する事になりました。母も私達(姉2人)も自宅に戻れるのか不安がいっぱいでした。又コロナ禍1年目で主治医との面談時以外は面会出来ない寂しさを受けました。肺炎も治り沢山検査を受けて1ヶ月の入院生活を送り、主治医からの勧めで大動脈弁狭窄症の手術を3ヶ月後に受けました。
その後はケアマネージャーをつけ介護認定を受け、半日のデイサービスに行く様になったりと入院前の生活から一変しました。少しずつ、衰弱はあるものの母の面倒を見る事は私のライフワークとなりました。(姉達の助けも有り)
今年5月中旬以降母が寝つく様になり、6月末に緊急入院。本来なら他の病院への転院ですが自宅にて終焉させたく、在宅診療を決断して、訪問看護師さん達の献身的な働きに助けられながら、看取る事が出来ました。本年7月29日永眠いたしました。享年92歳です。働き者の母に報いる親孝行が出来たか分かりませんが、これからの供養を営んでいく所在です。