氏 名 藤澤吉郎 (ふじさわよしろう)
生 年 月 日 昭和29年2月1日
住 所 浜松市中央区
勤 務 先 磐田公共職業安定所
写 真 本人 右端
真中 亡き母
左端 妻 和美さん
平成27年8月に父(89)が亡くなり、この9月には母(93)を見送る事になりました。父は長野県須坂市の出身、母は山口県下関市の出身です。二人は戦後山口県で出会い、母の実家の農家をスタートに戦後の混乱の時代から高度成長期の時代を生き抜きました。
私が中学校3年の夏休みの昭和43年に、父の仕事の関係で浜松市に引っ越すことになりました。受験勉強とは縁のない片田舎の中学から、地方都市浜松での短い中学時代を経て、県立浜松湖東高等学校を卒業しました。卒業後、中北薬品(株)浜松営業所に就職しました。会社は名古屋が本社の医薬品の製造・卸売の会社で、病院・医院・薬局に医薬品などを卸売する会社でした。内勤事務全般を27年半勤務した後、当時としては無謀といわれても仕方のない転職を2回繰り返し、現職のハローワーク磐田の仕事に就いて15年になりました。ハローワークは主に雇用保険と職業紹介の業務があり、私は職業紹介部門の障害者雇用を担当しています。障害者雇用促進法など障害者雇用を義務化した法律はありますが、企業が求める人材と障害者本人が求める仕事のマッチングが必要になります。障害のある全ての方が、やりがいをもって生きいきと仕事ができる共生社会を目指し日々取り組んでいます。
母は田舎育ちの素朴な優しい性格で、草花を愛し動物好きでした。特に猫好きははなはだしく、野良猫に餌やりをして飼い猫にするなど多い時で5~6匹の猫が住み着いていました(今ではご近所問題になります)。そんな母でしたが、頑張り屋で頑固な一面もありました。浜松に来てから工場勤めに出て、工場の仕事で怪我をしたことがありましたが55歳の定年まで勤めました。後年、脳溢血で倒れ不自由な身体になり、最晩年はベッドでの生活になりました。最後の見取りが自宅でできなかった事は残念でなりませんが、93歳の天寿を全うしてくれたことは感謝しかありません。